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【自译】地球外少年少女 音响监督清水洋史访谈 ②.md

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「主観的な音」が面白みにつながる

――続いて、音響効果についても聞かせてください。作品の時代設定は少し先の未来になりますが、リアリティのバランスはどう考えていたのでしょうか?

(接下来,请谈谈音响效果。作品的时代设定在稍早的未来,您是如何考虑现实性的平衡的呢?)

たとえば、舞台となる宇宙ステーションは擬似的に重力を生み出して生活ができる場所になっているのですが、それは今あるテクノロジーを土台に磯さんが想像しているわけですよね。広いソーラーパネルを、折り紙の折り方を応用してコンパクトに畳む技術とかが作中には出てきます。一方で、ダッキーなどのドローンAIはまだ実現されていない未来ですが、確実にこれも現実にあるものとつながっています。そこは効果の大塚(智子)さんが非常にご苦労された部分だと思いますが、いわゆる完全に空想の音は作品全体であまりないはずです。そういう意味でいうと、未来、SFという括りの中にあっても、じつは今作の基調はリアリズムだと思います。だからこそというか、完成品を見てあらためて感じたのですが、とにかく音数(おとかず)が多いですよね。

(例如,作为舞台的宇宙空间站是可以模拟产生重力生活的地方,这是矶先生以现有的技术为基础想象出来的吧。作品中还出现了将宽大的太阳能板利用折纸的折法紧凑地折叠起来的技术。另一方面,虽然ducky等人工智能无人机的未来还没有实现,但它确实与现实生活中存在的事物相关联。我想这是大冢(智子)先生非常辛苦的部分,所谓完全空想的声音在整个作品中应该是不存在的。从这个意义上说,即使放在未来、科幻的括内,我觉得这部作品的基调还是现实主义。正因为如此,看了成品重新感觉,总之音数(音数)很多。)

――どこかしらで音が鳴っている。

(不知哪里有声音在响。)

それをまとめるにあたってはミキサーの今泉(武)さんの調整に助けてもらったところが大きいと思います。今泉さんも非常に悩みながら音のバランスを作っていました。そもそも空間のベースになる空調の音や、施設内を小川が流れていたりする環境音からして我々の実生活とは似て非なるものですから。

(我想在总结那个的时候,得到了混音师今泉先生的调整的帮助的地方很大。今泉先生也一边非常烦恼一边制作声音的平衡。因为从作为空间基础的空调的声音,以及设施内小河流淌的环境声音来看,都与我们的实际生活似是而非。

――材質感など、それぞれのカット単位で考えていくと非常に大変そうですね。

材质感等,以各自的切割单位来考虑的话好像非常困难。

そうですね。とはいえ、やはり音としての面白みも必要だと思うんです。第1話ラストの衝撃波の音とか、ちょっと恐ろしいものになっていますよね。つまり、映像作品の中で鳴る音は「主観的な音」になることもあるんですよ。たとえば、リアルな銃声は意外と軽い音なんですけど、ほとんど効果音としてそのままは使われない。銃弾を受ける側が主観的に聞く破壊的なイメージを加えた音が多用されています。リアルとリアリティは、別物なんです。そういったイメージも込みで近未来の宇宙ステーションの音を構成しないといけないので、今までにないさじ加減の難しさがあった気がします。

(是啊。话虽如此,我还是觉得作为声音的趣味也是必要的。第一话最后的冲击波的声音什么的,变成了有点可怕的东西吧。也就是说,在影像作品中发出的声音也有可能是“主观的声音”。例如,真实的枪声是意外的轻的声音,但几乎作为效果音不被直接使用中弹的一方主观听到的带有破坏性印象的声音被大量使用。现实和现实是两回事。因为必须加入这样的印象来构成近未来的宇宙空间站的声音,所以感觉有前所未有的拿捏分寸的难度。)

『地球外少年少女』なりのリアリティ

――前回の取材でも少し話題に上がりましたが、芝居におけるリアリティについても聞かせてください。

(上次的采访中也提到了一些话题,请让我听听关于戏剧中的现实性的话题。)

我々が経験したことのない時代と環境に生きている少年少女を現代の人に見てもらうのは、そもそもハードルの高いことだと思うんです。だからこそ、この『地球外少年少女』なりのリアリティを、磯さんも僕らも探していました。

(让现代人看到生活在我们未曾经历过的时代和环境中的少男少女,我觉得本来就是一件很有难度的事。所以矶先生和我们都在寻找《地外少男少女》的真实性。)

――具体的な役者さんへの演技指導指も、リアリティに依拠することが多かったということでしょうか。

对具体演员的演技指导,也大多依据现实性吗?)

そうですね。役者さんは「このあと悲惨なことが起きる」とか「救済が待っている」ということを知っていて演技をするわけです。だから、無意識のうちにそれ前提で演技をしてしまう。そうではなく、次に起きることを知らないようにいられるかが大事なんです。

(是啊。演员知道“接下来会发生悲惨的事情”“等待着救赎”,所以才表演。所以,会在无意识中以此为前提进行表演。不是这样的,重要的是能不能不知道接下来会发生什么。

――現場では、磯さんからの指示もあったのですか?

(在现场,矶先生也有指示吗?)

もちろん、山のようにありました。磯監督は脚本を書きながら自分の中でセリフが音になっていると思うんですよね。だから、まずはそこを目指して作っていかないと。ある意味それが出発点だし、ゴールだし。僕はそれを踏まえたうえでいかに「セリフ」にしないかということを考えていました。

(当然,有很多。矶导演一边写剧本,一边觉得台词在自己心中变成了声音。所以,首先必须以此为目标来制作。从某种意义上来说,这既是起点,也是终点。我在此基础上考虑如何不变成“台词”。

――どういうことでしょうか?

(这是怎么回事呢?)

会話の言葉って基本的に何かへの反応なんですよ。反射と言ってもいいかもしれませんが。相手あってのやり取りであって、「こう言おう」と結論を決めてしゃべっていることって意外と少ない。だから、先まで読める台本上の「セリフ」じゃなく、いかにその瞬間に出てきた言葉にできるかが大事です。あと、人って思っていないことをあえて言ったりすることもあるじゃないですか。「大嫌い」と言いながら大好きな感情を表現するとか。情報としては「嫌い」だけど、意味としては「好き」っていう。言葉どおりではない、そういう行間を吸い上げないといけないんです。

(**对话的语言基本上是对某件事的反应。**或许可以说是反射。在有对象的交流中,决定“这么说”的结论的情况意外地少。因此,**重要的不是能读到前面的剧本上的“台词”,而是如何将其变成瞬间出现的语言。**还有,有时候也会故意说一些自己不认为是人的话。一边说着“最讨厌”一边表达最喜欢的感情。从信息上看是“讨厌”,但从意思上看是“喜欢”。不是字面上说的那样,必须吸取这样的字里行间。)

心葉のくしゃみの正解を探る

――心葉役の和氣(あず未)さんに取材したところ、くしゃみひとつを何テイクも録ったと聞きました。これも行間を吸い上げる作業の一環なのでしょうか。

(我采访了饰演心叶的和气(阿图未)先生,听说他连一个喷嚏都录了下来。这也是吸收行距工作的一环吧。

それはキャラクターなりの芝居を探っていった結果ですね。現実でも、いろいろなタイプのくしゃみがありますよね。たとえば、高齢者だと、大きなくしゃみをすると腰に負担がかかったりするから、控えめにくしゃみをするとかね。心葉も一緒で、彼女には彼女の日常の立ち振る舞いの中でのくしゃみがあるんだろうと。だから「心葉のくしゃみの正解ってなんだろう?」と探っていったんです。

(那是寻找角色自己的戏剧的结果。在现实生活中,也有各种各样的喷嚏。比如,老年人打个大喷嚏会对腰部造成负担,所以尽量少打喷嚏。心叶也一样,她肯定有她日常行为举止中的喷嚏吧。所以“心叶打喷嚏的正确答案是什么呢?”试探了一下。

――なるほど。

和氣さんは、かなり苦労されていました。和氣さん自身は健康体だけれど、心葉は死にそうな状況にある、というのが難しくて。そして登矢のように「死」に抗おうとするわけでもなく、でも、そんなに悲観もしていない。そういう存在感が特殊なキャラクターなので。

(和气先生相当辛苦。和气先生自己身体很健康,心叶却快要死了,这很难**。既没有像登矢那样与“死”抗争,也没有那么悲观。因为这样的存在感是特殊的角色**。)

――難しそうですね。

でも、そこは和氣さんの持つ、ふわっとした不思議な空気感とうまく合致したと思います。演技は作るものだけじゃなくて、もともと持っているものがどうしても出てくるので。

(但是,我觉得那里和和气先生所拥有的,蓬松的不可思议的空气感很好地吻合。演技不仅仅是制作出来的东西,本来就有的东西无论如何都要表现出来。

――今、お話に出た登矢は運命に抗おうとする人物ですよね。藤原(夏海)さんの演技はいかがでしたか?

(刚才提到的登矢是一个想要与命运抗争的人物。藤原(夏海)的演技怎么样?)

登矢は月で生まれた最後の子供で、他人が想像するのが難しい特殊な屈折を抱えているんです。だとすれば、反抗的な物言いや態度のニュアンスが、刺々しい暴力的なだけのものであってはまずいわけです。彼が抱えている絶望感や年齢特有の甘え。そういうところを探り当てるまでに苦労しました。

登矢是在月球上出生的最后一个孩子,有着别人难以想象的特殊曲折。如果是这样的话,反抗的说话方式和态度的微妙差别,仅仅是强烈的暴力性的东西是不行的他所抱持的绝望感和年龄特有的撒娇感。为了找到这些地方,我吃了不少苦。)

――では、リテイクもかなり出たのですね。

(那么,也有不少人离开了。)

途中からは藤原さんもかなりつかめたみたいです。各話を録り切ったあとに、演技面で気になるところを翌週に撮り直していたのですが、なかなかうまくいかなかったところがリテイクのときには一発でできるようになっていきました。それはやっぱり表面的な情報を頭の中に入れただけではなく、自分なりに腑に落ちたからじゃないかと思います。

(中途藤原先生好像也抓到了不少。每集录完后,我都会在下周重拍演技方面比较在意的部分,但有些地方一直不太顺利,如果有进展,我就能一拍搞定。我想,这并不是只把表面的信息装进脑子里,而是自己理解的结果。)

受け止めてくれる相手が必要

――ここからは個々の役者さんについても聞かせてください。大洋役の小野(賢章)さんはいかがでしたか。

(接下来请谈谈每个演员的情况。**饰演大洋的小野(贤章)**感觉如何?)

他のキャラクターをしっかり支えてくれました。主人公の相手役って、じつはいちばん難しいんですよね。主人公は物語を背負って、そこで起きることに100パーセント向き合って行動していくし、その人の感情が作品を見る軸になっていくわけですが、相手役は自分が前に出るわけではなく、絶妙な距離感で主人公の存在を照らさないといけない。今回、小野さんは高度にそこをこなしてくれました。小野さん自身は10代のときから知っているのですが、作品の読み込みも深く、頼りがいが増していました。

(很好地支撑了其他的角色。跟主人公演对手戏其实是最难的。**故事主人公是背着,那里发生的事情,100%去行动,他的情绪成为他看作品的轴心,但是对方面前扮演自己,而是绝妙的距离感照亮主人公的存在。。**这次,小野先生高度地处理了这一点。小野先生自己在十几岁的时候就认识了,他的作品读得很深,可信度也增加了)

――時勢柄、今回の収録は別録りがメインだったと思うのですが、そうでないパートもあったのでしょうか。

(因为时势的关系,这次的收录是以别录为主,不过,也有不是那样的部分吗?)

基本、アフレコについては別収録でしたが、話数によって絡みの多い人同士、たとえば、登矢と大洋が軸になっているシーンは、顔を合わせてやるように組みました。

(基本上,关于后期录音是另外收录的,不过,根据话数纠缠多的人之间,例如,登矢和大洋成为轴的场景,像碰面一样地组合了。)

――やっぱり相手が実際にいる状態での芝居のほうがいいのでしょうか?

(还是在对方实际存在的状态下演戏比较好吗?)

そうですね。いくら磯監督の絶対値があるとはいえ、一緒にいる人の存在や、その人の声が聞こえてくるほうが役者さんはやりやすいでしょうね。

(是啊。虽说矶导演有绝对的价值,但是能听到一起的人的存在,那个人的声音,演员做起来比较容易吧。)

――博士役の小林(由美子)さんについてはいかがですか。

(关于饰演博士的小林(由美子),您觉得如何?)

盤石でした。そもそも博士って、当て書きみたいなところのある役ですから。映画の世界だと、その監督の作品に必ず出る人がいるじゃないですか。「笠智衆(りゅうちしゅう)さんは小津安二郎さんの作品に欠かせない」みたいな。小林さんは、磯さんの作品における笠智衆さんなんだと思います。磯作品の、いい意味での子供っぽさ、伸びやかさを小林さんが体現してくれています。

(坚如磐石。博士本来就是个有点像猜词的角色。在电影的世界里,不是一定会有人出现在那个导演的作品里吗?“小津安二郎的作品中,笠智众是不可或缺的。”我觉得小林就是矶部作品中的笠智众。矶的作品中,小林体现了正面意义上的孩子气和舒展。)

魔法の言葉を探して

(寻找魔法之语)

――なるほど。ところで「清水さんの現場は長い」とよく聞くのですが、これはやはり演技指導に熱が入ってしまうからなのでしょうか。

(原来如此。不过,经常听说“清水的拍摄现场很长”,这果然是因为对演技指导投入了热情吗?)

それに対しては申し開きのしようもございません(苦笑)。でも、役者って経験したことのない人生を演じるわけです。しかも、自分ではない他者の人生を。そこには架空かもしれませんが、その人物が生きてきた時間もある。そもそも人間なんて自分のことすら理解できているかあやふやなのに、存在しない他者を演じるなんて、すごく大変なことだと思うんです。もちろん、役者さんは台本を読んでイメージを積み上げて現場にのぞむと思いますが、我々も表現したいものを持ってのぞんでいますから、その間を埋めていくのは生半可な作業ではありません。役者と演出家と役柄と、三つどもえで人生観のせめぎ合いをするんですよ。だからアフレコというのは、僕も含めて自分の認識を根本からあらためていく時間だと思っています。

(对此我无话可说(苦笑)。但是,演员要演绎的是从未经历过的人生。而且,不是自己的人生,而是别人的人生。其中也许是虚构的,但也有那个人物生活的时间。本来人类连自己都无法理解,要扮演一个不存在的人,是非常困难的。当然,我想演员是读了剧本,积累了形象之后才去现场的,但我们也有自己想要表现的东西,所以填满这中间部分并不是半途而废的工作。演员、导演和角色,三者在人生观上互相竞争。所以我认为后期录音是包括我在内从根本上重新认识自己的时间。)

――慣れているものや、思い込みからの脱却ですか?

(是摆脱习惯的东西和臆想吗?)

そうですね。魔法の言葉があって、それを言ったらバッと認識が書き換えられて、別人のように演じられるのが理想なのですが、そう簡単には見つからない。「ちょっと面白いことやってよ」とぼんやりしたことも言いますし、すごく時間をかけて説明することもあります。

(是啊。如果有魔法语言,一旦说出来,人的认知就会立刻被改写,就像换了个人一样,这是最理想的状态,但并不是那么容易找到的。有时会迷迷糊糊地说“做点有趣的事吧”,有时也会花很多时间来说明。)

――魔法の言葉は、どのようにして探していくものなのでしょう?

(魔法的语言,是如何寻找的呢?)

まずは自分が感動できる言葉を探したり、相手が他人の言葉を受け入れる隙間がどこにあるかを探してみたり。もちろん、アニメの現場であれば、監督が言うことの中に手がかりがないか、とか。他にも、制作スタッフであろうとプロデューサーであろうと、全員のアイデアが手がかりになるんです。だからスタジオでは「黙っていて」なんて絶対に言いません。誰が何を言っても、全部聞く。その中に魔法の言葉があるかもしれないから。

(首先寻找能让自己感动的语言,或者寻找对方接受他人语言的间隙在哪里。当然,如果是动画的现场,导演说的话中有没有线索之类的。除此之外,无论是制作人员还是制片人,所有人的想法都可以成为线索。所以在工作室里绝对不会说“保持沉默”之类的话。不管谁说什么,我都听。也许其中有魔法之语。)