磯監督の中にある完成形を探り当てる作業
――磯監督とお仕事をするのは今回が初めてですか?
そうですね。顔合わせはリモートだったんですよ。磯さんはリラックスした感じで、非常に温和な印象を最初は持ちました。……が、そこから怒涛の打ち合わせの日々が始まって、印象が一気に変わりましたね(笑)。
――今回、音楽や音響について、もっとも大変だった作業は何になりますか。
完成形が磯さんの頭の中にしかないので、それを探り当てる作業ですね。原作ものの場合は、監督を含め、スタッフはみんな作品そのものから等距離にいるんですよ。だから全員がアイデアを持ち寄りつつ、音楽であれば作曲家の方が読み取った解釈を尊重して制作していくようなかたちも多いんです。
――その作曲家の個性を、曲に込める場合もありますね。
ええ。一方、この作品はその対極にあるんです。完全オリジナルの作品ですから磯さんが実現したいイメージにどう近づけるかが勝負でした。たとえば、「虚無感」を薄めたいという指示があって、でも「虚無感」という言葉が何を指すのか、受け取り方は人によって微妙に違うじゃないですか。音楽の石塚(玲依)さんは、そこを解釈したうえで、音楽としてどう表現するのか悩まれていたと思います。だから、たとえば「裏で通奏低音みたいに流れている弦が邪魔なんじゃないか」とか「このずっと鳴っている高い音を外したら虚無感が消えるんじゃないか」とか、全曲に対して精査していったんです。それはまるで数式の難問を解くような作業でしたが、そうやって磯監督が思う「絶対値」を探り当てていきました。
音楽の使いまわしはできるだけやりたくなかった
――実際に音楽をつける作業は、どのように行ったのでしょうか。
全6話と短いシリーズなので、音楽メニューの段階で全体的な音づけの設計はだいたいできていたんです。「この曲はこの話数のこのシーン」という風に、曲作りと並行してイメージが大まかに決まっていたんですね。でも、それだけで全部をカバーしているわけではないので、それらをつなぐ間を構成しながら埋めていきました。
(因为是全6集很短的系列,所以在音乐菜单的阶段就已经大致做好了整体的配音设计。“这首曲子在这个集数的这个场景”这样,作曲的同时大致决定了形象。但是,这并不能涵盖全部内容,所以我在将这些内容连接起来的同时,还需要进行填充。)
――では、音楽メニューについてそれほど苦労はなかった?
(那么,关于音乐菜单没有那么辛苦吗?) いえ、これがもう大変で。こちらから提案すると監督から「違う」とボールが返ってくる。じゃあ、こんな感じでどうかと作り直す。それを何度やりとりしたかわからないくらい。なけなしの技術ですが、持てるものは出し尽くしました。
(不,这已经够呛了。我一提议,教练就回球说:“不对。”那么,这样的感觉怎么样,重新做。这样的对话我已经不知道进行了多少次了。虽然是仅有的技术,但能拿的东西都拿出来了。)
――でも、シーンのイメージはすでにあるわけですよね。
(但是,场景已经有了印象。) 監督の中にはありますが、たとえば、ひとくちにサスペンス的な楽曲といってもいろいろありますよね。打楽器が打ち鳴らされて感情を高めていくようなものなのか、静かに心理的に追い詰めていくものなのかとか。さらにその中での微かなニュアンスのつけ方とか。
(导演里面有,比如,**笼统地说悬疑式的乐曲也有很多。就像打击乐让人情绪高涨,还是悄悄地让人在心理上陷入绝境。**还有其中的细微差别。)
――なるほど。それと、今回はフィルムスコアリング(映像の展開にあわせて音を付けていく方法)も行っていますよね。そのあたりもこだわりどころだったのでしょうか?
(原来如此。还有,这次也进行了胶片评分(配合影像的展开加上声音的方法)。这也是您钟情的地方吗?) そもそも、音楽の使い回しはできるだけしたくなかったんです。全6話って、一般的なシリーズと比べてかなり短いですよね。だから、音響演出の面からいえば、「ああ、またこの曲か」と思われやすくなる。それを避けたかったんです。うまく散らして印象を変えたいなと思いつつ、さらに「ここぞ」というときにはその場面で一回しか使わない曲も入れ込んでいこうと。最終話に近づくにつれ、フィルムスコアのシーンが多くなりましたね。特別な場面では、特別な曲がかかるべきだと思っていました。かなり効果的にできたと思います。
(本来,我就尽量不想重复使用音乐。全6集,和一般的系列相比相当短。因此,从音响演出的角度来说,很容易让人觉得“啊,又是这首曲子啊”。我想避开那个。**一边想巧妙地散开来改变印象,一边还想在“关键时刻”的时候加入只在那个场面使用过一次的曲子。**随着接近最终话,胶片得分的场景变多了。我觉得在特别的场合应该放特别的曲子。我觉得效果相当好。)
アニメにとって必要なシンボリックな演技を大切にした
(重视对动画来说必要的象征性的演技。)
――キャスティングについては、どういった考えのもとに進めたのでしょうか。
(关于选角,是在怎样的考虑下进行的呢?)
リアルな世代のいわゆる子役でいくべきか、少年を演じる女性でいくべきかの両軸を試そうとしていました。そこでテープオーディションをしつつ、磯監督の意見をキャッチアップして、スタジオオーディションを実施しました。
(是应该作为现实世代的所谓童星,还是扮演少年的女性,试着做这两个轴。于是我们一边试镜,一边收集矶导演的意见,然后进行录音室试镜。)
――清水さんは外画も数多く手がけていますが、その方面の役者とのバランスはどう考えていたのですか?
(清水先生也做了很多外画,这方面和演员的平衡是怎么考虑的呢?)
まず、アニメーションの演技は、良くも悪くも外画とは異なるものなんです。リアリティのフレームの取り方というか世界観の問題になりますが。オーディションにはそれぞれに軸足のある方に参加していただきましたが、外画中心の方については、磯さんが「この人、芝居はすごくいいけど……」と躊躇した場面が多かったんですよ。おそらく、磯さんが考える世界の輪郭に、外画中心の方は合わなかったのかなと。
(首先,动画的演技无论好坏都与外画不同。现实性的取景法或者说世界观的问题。试镜时,大家都有各自的主轴参加,不过,以外画为主的人,矶先生说:“这个人,演技非常好……”犹豫的场面很多。也许矶先生认为的世界的轮廓和外画中心的轮廓不相符吧。)
――磯監督はアニメらしさみたいなものも求めていた?
(矶导演也想要像动画一样的东西吗?)
エッジが利いた演技や、デフォルメされた演技のキャッチーさは、シンボリックなアニメ表現の強みだし必要なことだろうと僕は理解しました。ただ、それはキャラクターにもよりますけどね。たとえば、「叔父さん」をやっている花輪(英司)さんなんかは、外画が多いんじゃないかな。
(我理解了边缘灵活的演技和变形的演技的捕捉性,是象征性的动画表现的强项也是必要的吧。不过,这也要看角色。比如,扮演“叔叔”的花轮(英司),外画应该很多吧。)
――そうですね。
脇を支えるキャストは外画のテイストにちょっと寄っているかなと思うんです。登矢をはじめとする子供たちは特殊な環境にいて、それぞれ固有に背負うものがある人たちですが、大人たちは現実的で打算もあるし、ちょっと生活感のある芝居のニュアンスも欲しいと思ったんですよね。
(我想支撑腋下的演员们稍微向外画的风格靠拢。以登矢为首的孩子们是在特殊的环境里,有各自固有的背负的东西的人们,大人们是现实的有打算,想要稍微有生活感的戏剧的细微差别。)
手探りだった那沙のキャラクター
――そういう意味でいうと、主要キャストのうち、那沙は大人側に属しますよね。
(从这个意义上来说,主要角色中,那沙属于大人一方吧。)
実際、那沙のオーディションは、アニメ出演が多い役者さんと外画が仕事の中心の役者さんと半々で呼びましたね。最終的には伊瀬(茉莉也)さんに決まったわけですが、キャスティングの段階では那沙がいちばん手探りでした。僕自身アフレコをやって初めて理解できたところもあって。那沙のパーソナリティはどちらかというと物語の後半に現れるので、キャスティングを進めている時点では那沙の明確なイメージをまだ持てていなかったんです。
(实际上,在那沙的试镜中,出演动画较多的演员和外画以工作为中心的演员各占一半。最终决定了伊濑(茉莉也)先生,不过,在选角的阶段那沙是最摸索的。也有我自己做后期录音第一次理解的地方。那沙的个性是在故事的后半部分出现的,所以在进行选角的时候还没有对那沙有明确的印象。)
――キャスト陣の中で伊瀬さんだけは、那沙に訪れる後半の展開を知っていたと聞きましたが。
(我听说演员阵容中只有伊濑先生知道访问那沙后半部分的展开。)
たしかに、みんなの前では話していないですね。キャストの中では伊瀬さんだけが監督から直接聞いていて。……じつはそのときに僕も初めて聞いたんですよ。作品内で直接は描かれない設定なども飛び出して、驚きました。監督からは「伊瀬さんには、わかったうえで芝居をしてほしい」とオーダーがありました。伊瀬さんも理知的に演技をやりたいタイプだと思うので、彼女の演技者としての性格も含めて、情報提供が必要だったんだと思います。
(确实,没有在大家面前说过。卡司中只有伊濑先生是直接听导演说的。……其实我也是第一次听说。作品里没有直接描写的设定等也跳出来了,很吃惊。导演要求说:“希望伊濑先生在理解的基础上演戏。”我想伊濑先生也是理智地想表演的类型,所以包含她作为演员的性格在内,情报提供是必要的。)
想定している芝居を超えた赤﨑千夏さんの美衣奈
(超越预想戏剧的赤崎千夏先生的美衣奈)
――その他のキャスティングについては、いかがでしたか。
美衣奈は悩みましたね。とくに監督がいちばん頭を抱えていました。オーディションで赤﨑(千夏)さんがすごく面白かったんですよ。だからこそ、さっき言った磯さんが求める絶対値に向かう作業が、そこで崩れてしまって。キャスティング作業の中で赤﨑さんだけはその絶対値じゃないところに着地してしまった。でも、そこに魅力があったんです。美衣奈というキャラクターにはそれが必要なんじゃないかと。
(美衣奈很烦恼。特别是导演最头疼。试听的时候,赤崎(千夏)先生非常有意思。正因为如此,刚才矶先生要求的绝对值的工作,在那里崩溃了。在选角过程中,只有赤崎先生没有找到这个绝对值。但是,这就是魅力所在。美衣奈这个角色需要这样的东西。)
――監督が悩んでいたポイントはどこだったのでしょうか?
(导演烦恼的点是哪里呢?)
「絵のほうに影響を与えてしまう」とおっしゃっていました。
(说过“会对画面产生影响”。)
――つまり、作画を演技に合わせて変更しないといけない場合が出るかもしれない。
(也就是说,可能会出现必须配合表演来变更作画的情况。)
そういうことです。想定している芝居を超えてきたら、絵を変えざるを得ないということで、実際に変えたカットもあると聞いています。
(就是这么回事。如果超出了预想的戏剧效果,就不得不改变画面,听说也有实际改变的镜头。)
――赤﨑さんはアドリブもかなりあったのですか?
(赤崎先生有很多即兴发挥吗?)
いえ、余計なアドリブをするわけじゃないのですが、もともと入れる予定のところで想定外のものを入れてくることがあるんですよ。第4話で隔壁に閉じ込められた彼女が、配信しようとスマートを操作したあとに発する「おっふ」とか……。ふつうに「ゲッ!」って言うだけでよかったのに。あれはまさに絵を変えたアドリブでした。
(不,并不是多余的即兴发挥,只是有时会在原本打算加入的地方加入预想之外的东西。第4话中被困在隔壁的她,为了传送而操作了smart之后发出的“关闭”之类的……。就像一般的“啊!”只要这么说就好了。那确实是改变了画面的即兴表演。)
――(笑)。
でも、そこにリアリティがあったから仕方ないなと。つまり重要なのは、ただ突飛なことをやるだけではなくて、赤﨑さんがその芝居に至ったリアリティを、聞いている我々が感じたということです。だから、芝居のほうを生かそうとなったんです。
(但是,因为那里有现实感,所以没办法。也就是说,重要的是赤崎先生不仅仅是做了离奇的事,而是让我们感受到他表演的真实感。所以,我想活用戏剧。)
――そのキャラクターなりのリアリティが表現できていたんですね。
(表现出了那个角色特有的现实感吧。)
そうですね。「よくできている」って言葉がいつも気になっているのですが、面白い作品を見てそう評することってよくあると思うんです。でもそれって、ただ平凡に文字通り「よくできている」ものには言われないわけです。よくできていると思うときには、ほとんどの場合、そこに何か初めて見る面白いものが含まれている。その新しいものが、でもしっくり胸に落ちたときに、よくできていると思ってもらえるんじゃないかと。だから演技でそれを実現するのにいちばん大事なことは、まず演者自身が(その役に対して)「腑に落ちているかどうか」なんです。自分で理解ができていなかったり、実感できていない表現だったら、いくら目新しいものでも、見る側はただ変なものを見たという印象で終わってしまう。でも、演じる側が腑に落ちていれば、それが意外であっても……逆に意外であればあるほど、見る側にとっては予想を裏切るいい芝居になるんです。突飛なものが腑に落ちる瞬間がいちばん面白いという。つまり、リアリティとオリジナリティが両立しているということなんですけど。これは役者さんに常日頃求めているものではあるけど、なかなか出てこないものなんですよ。
(是啊。我一直很在意“做得很好”这个词,我觉得看到有趣的作品,这样评价是常有的事。但这并不是像字面意思那样平凡地说“做得很好”的东西。觉得做得好的时候,大部分情况下都包含了第一次看到的有趣的东西。当这个新东西顺利落地时,会不会让人觉得做得很好呢?因此,要用演技来实现这一点,最重要的是,表演者自己(对那个角色)是否“理解”。如果是自己无法理解、感受不到的表达方式,即使是再新颖的东西,也只会给观众留下看了奇怪东西的印象。但是,如果演的人能够理解的话,即使是意外的……相反,越是意外,对观众来说就越是出乎意料的好戏。他说,把离奇的东西理解的瞬间是最有趣的。也就是说,真实性和独创性并存。这是我平时对演员的要求,但却很难出现。)